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一般に考えられたように、現象学的還元は、観念論的哲学の定式であるどころか、実存哲学の定式なのである。―――ハイデガーの「世界-内-存在」(In-der-Welt-Sein)は、現象学的還元を基礎として、はじめて出現しえたのである。
モーリス・メルロー・ポンティ『知覚の現象学』
セザンヌは、けっして「野蛮人のごとく描こう」としたのではなく、知性や観念や科学や遠近法や伝統を、それらが理解すべく定められている自然的世界にふたたび接触させ、彼流に言えば「自然から生まれ出た」諸科学を自然と対決させようとしたのである。
モーリス・メルロー・ポンティ『セザンヌの疑惑』
眼差しは存在のあらゆる種類のヴァリエーションを呼び起すものなのだ。
モーリス・メルロー・ポンティ『世界の散文』
我々は、事物を知覚し、事物に関して互いに理解し合い、事物の中でしっかりと結び合わされている。そして「自然」というこの礎石のうえに、我々は様々な科学を築き上げているのだ。セザンヌが描こうとしたのは、このような根源的世界にほかならない。
モーリス・メルロー・ポンティ『セザンヌの疑惑』
我々の身体は他の一切の表出的空間の源泉であり、表出の運動そのものなのである。すなわち、諸々の意義に場所を与えることによってそれらを外部に投射し、それらが我々の手、我々の眼のもとで、物として存在するようになる、その原因をなすものなのである。
モーリス・メルロー・ポンティ『知覚の現象学』